熊野三山
たてもの探訪Ⅴ(拾遺40) 2025年05月26日公開
訪問:2024年12月
◆れきし
熊野三山は、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の総称。
熊野本宮大社は、熊野川の中州に中四社・下四社を始め拝殿など様々な社殿が建ち並んでいましたが、明治22年(1889)の大洪水により流出。その跡地には「大斎原(おおゆのはら)」とよばれて2基の石祠と大鳥居が建立されています。現在の境内に建つ社殿3棟(文化7年建立)は、流出を免れて移築されたものです(重要文化財)。
熊野速玉大社は熊野川の下流、神倉山の磐座・ゴトビキ岩に、熊野速玉大神と熊野夫須美大神が降り立ったのが始まりと伝えられています。平安時代の始めには、現在地に十二の社殿が建てられ、後鳥羽上皇・後白河法皇・後鳥羽上皇などが度々行幸し、大いに賑わいました。明治16年(1883)に社殿が全焼し、現在の建物は、それ以降の再建です。
熊野那智大社は、山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まり、当初は滝の向かい側、現飛瀧神社のあたりにありました。その後隣接する如意輪堂(豊臣秀吉再建、現青岸渡寺、西国観音霊場一番札所)と神仏習合して一体化し、修験の一大拠点として発展。那智大社の社殿8棟は、いずれも江戸時代後期の再建ですが、規模が大きく、中世以来の景観を今に伝えるものとして重要文化財に指定されています。
◆見どころ
熊野三山と、それらを結ぶ「中辺路(なかへち)」は、平成16年(2004)に、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。深い森林に覆われたこれらの山々は、神々や阿弥陀や観音菩薩が御座す「浄土」として、貴賤をとわず深く信仰され、仏がもつような能力を得るための修験がさかんに行われていました。戦乱や時代の転換のなかで、建物自体は大きな変遷をうけていますが、これら三山をめぐれば、霊地としての大きな存在に、心身が包まれていくことはまちがいありません。
熊野古道
熊野那智大社塔頭
青岸渡寺
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