筥崎宮
たてもの探訪Ⅴ(拾遺45) 2025年5月28日公開
福岡市東区 訪問:2025年2月24日
◆れきし
筥崎八幡宮ともよばれ、宇佐・石清水とともに日本三大八幡宮にあげられています。応神天皇を主祭神とし、神功皇后・玉依姫命が祀られ、醍醐天皇の神勅により平安時代の中ごろに創建。文永11年(1274)の蒙古襲来により、炎上した社殿再興のさい亀山上皇が納められた「敵国降伏」の神額は有名で、現在はその謹写が楼門に掲げられています。後世は、戦さの神として足利尊氏・大内義隆・小早川隆景など名だたる武将が参詣しました。
天正15年(1587)年6月、秀吉は九州平定の後、ここ筥崎に着陣し、九州諸大名の所領安堵を行います。この間、細川幽斎や千利休らを侍らして連歌会・茶会・花寄せの会などが行われ、本殿の前には利休寄進の燈籠が伝わっています。
一の鳥居は慶長14年(1609)に福岡初代藩主・黒田長政が、楼門は文禄3年(1594)年に筑前領主・小早川隆景が、本殿・拝殿は天文15年(1546)に大内義隆が建立。本殿は九間社流造・漆塗り・檜皮葺きで、左右に車寄せが付き、大規模かつ優秀な建物です。
◆見どころ
「剣(つるぎ)をばここに納めよ箱崎の松の千歳も君が代の友」(剣をこの地に埋め納めなさい。箱崎の宮にある神木松の千年という長い年月も、わが世の君の友であるのだから)。細川幽斎が、天正15年(1587)6月8日、秀吉の陣所となっていた筥崎の宮に参上したさいに、戦勝への祝意を込めて詠んだ歌です。
筥崎宮はその名が源氏物語にも登場し、「しるしの松」は筑紫国を象徴する歌枕。また古来より厄除け、勝運の神として有名です。西国を代表する有力武将が寄進した建物は力強く、そして境内全体は、名高い景勝地にふさわしい風格が満ちています。
【参考文献】
・鶴崎裕雄「細川幽斎の紀行ーもう一つの紀行紹介への布石-」『細川幽斎 戦塵のなかの学芸』 笠間書院 2010年
・加藤弓枝 『細川幽斎』コレクション日本歌人選 笠間書院 2012年
御神木の筥松
楼門と「敵国降伏」の勅額
楼門・拝殿・本殿(参拝のしおりより)
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・たてもの探訪へのお誘い
Ⅰ乙訓(長岡京市・向日市・大山崎町・京都市西京区の一部)
Ⅱ山城(京都府)
Ⅲ大和(奈良県)
Ⅳ近江(滋賀県)
Ⅴ拾遺(全国各地)