大内氏館跡・龍福寺

たてもの探訪Ⅴ(拾遺48) 2025年9月26日公開

山口県山口市 訪問:2025年5月07日


◆れきし

  大内氏館跡は、周防国・長門国を本拠とした大内氏の守護館で、国の史跡(東西160m・南北170m以上)。大内氏が山口を本拠としたさいに築いたもので、京都の将軍邸を模しているともいわれています。

 さらに、館のすぐ北に別邸・築山館をつくり、京都から八坂神社を勧請し、大内氏の繁栄とともに「西の京都」とよばれるようになりました。

 しかし天文20年(1551)、大内義隆の時代、家臣(陶隆房)の謀反により灰燼と帰し、弘治2年(1556)に毛利元就が侵攻してくると、大内氏は山口から逃亡。龍福寺は翌年に、毛利輝元が自害した大内義隆の菩提を弔うために再建したものです。

◆見どころ

 大内館跡の発掘調査は、昭和53年(1978)より開始。そのなかで石組溝・西門・庭園など多くの遺構が発見され、現在では史跡整備が進んで(池泉庭園や枯山水庭園は復元)、往時の姿をしのぶことができます。

 龍福寺はもともと大内氏の先祖が開基した寺で、別の場所にありましたが、天文21年に毛利氏がここに移して復興。しかし明治になり再び全焼し、大内氏の氏寺「氷上山興隆寺」の釈迦堂(室町時代建立)を移築したのが、現在の本堂です(昭和29年に重要文化財)。平成18年(2006)からの改修工事により、室町期当初の状態に復元され、有力な守護大名として名を馳せた大内氏の歴史を伝えています。

 

龍福寺山門

大内氏館跡(復元前)

大内氏館跡(復元)


大内氏築山跡

八坂神社と築山跡

八坂神社