知恩院
たてもの探訪Ⅱ(山城32) 2026年7月1日公開
京都市東山区 【訪問】2026年6月29日 京都国立博物館清風会見学
◆れきし
浄土宗の宗祖・法然が、東山吉水(現円山公園の一部)に営んだ草庵が始まりで、その後配流を経て、建暦2年(1212)にこの付近の大谷禅房(現勢至堂付近)で亡くなりました。
死後、禅房の隣に御廟が建てられますが、延暦寺衆徒による嘉禄の法難に遭い破壊。しかし、門徒らによって再興され、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号が下賜され、「知恩院」の名が定着しました。
たびたびの焼失・再興を経て、徳川家康の母・於大の方(慶長7年に伏見城で死去)の葬儀をきっかけに、徳川家の菩提寺となってから、幕府のもとで寺地が拡大されて、壮大な伽藍が造営されるようになったのです。慶長7年から始められた諸堂建築は(家康ー秀忠の代)、慶長16年(1611)に三門・御影堂・集会堂・経蔵などが完成し、現在のような下段・中段・上段からなる寺観が整いました。
しかし、またもや寛永10年(1633)の大火災により、三門(元和7年造立)・経蔵(元和7年)・勢至堂(享禄3年)をのぞく主要伽藍が焼失。三代将軍家光により再建された伽藍のありさまが、現在の知恩院の姿です。
◆見どころ
御影堂は寛永16年、集会堂は寛永12年、大方丈・小方丈は寛永18年、梵鐘は寛永13年鋳造、鐘楼は延宝6年の再建。現在、勢至堂の保存修復が行われています。下段と中段に、徳川幕府菩提寺として造営された大規模な伽藍が整然と建ち並び、東山の麓の上段に法然ゆかりの御廟・勢至堂が祀られて、他に類をみない大規模、かつ深遠な宗教空間であるといってよいでしょう。
なお本年3月、集会堂で源智上人造立阿弥陀如来立像の開眼供養が執り行われたことを特記しておきます。この像は昭和49年に、滋賀県甲賀市信楽町の玉桂寺で発見され、解体修理と像内文書の調査から、建暦2年の源智上人造立願文と46,000もの結縁交名の存在が明らかになりました。この像は浄土宗念仏信仰の象徴として、平成22年に玉桂寺から浄土宗へ譲渡、平成24年に浄土宗と知恩院が管理団体契約を締結。ここ浄土宗開宗の地である知恩院に遷座(集会堂本尊)されたことは意義深いことです。
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